2011年10月20日

京都会館シンポジウム(10月10日)-続き

 建築とは、物なのか空間なのか。物があるからそこに空間が生まれるとも言えるし、空間があるからその中に物の居場所があるとも言える。結局は堂々巡りだ。ネガとポジのようでもあり、同一の現象を、それぞれ異なるフィルターで見ているようでもある。

 20世紀は空間の世紀と呼ばれる。建築を空間というタームで語るようになったことは、一種の革命であった。近代建築(モダニズム)は、形ではなく、物と空間という建築の枠組を問題にしたのである。しかし近代建築が普及するに従って、物と空間との緊張関係が失われ、空間だけがあたかも建築の本質であるかのように語られるようになる。建築家は、口を開けばまず「空間」の話をする。そこで語られる「空間」からは、物との格闘の中から「空間」を獲得した、20世紀はじめの近代建築の精神は抜け落ちているのではないか。私がここで言いたいのは、結局「空間」というタームでは、京都会館の保存を論じることができないのではないかということである。

 極端な仮定をしてみる。もし仮に、京都会館を一旦すべて壊し、元の図面に基づいて正確に復元したとする。ただし耐震性を確保するために鉄筋を増やすといった改変は許されるものとしよう。出来た建築物は本物と呼べるのかどうか。建築を空間と捉えるならば、空間は再現されているのだから、やはり本物ということになるのだろうか。伊勢神宮が20年ごとに建て替えられる例にしたがえば、こうした「保存」の方法もあり得ることになる。建築物が朽ち果てることがないのだから、空間は永遠に続くことになる。しかし、何かが間違っていないだろうか。

 空間論に欠けているのは、「物自体」(「他者」あるいは「外部」と言っても同じ)である。もちろんハイデガーにもそれが欠けている。物自体は、空間という共通認識を成立させた根源であるにもかかわらず、共通認識が成立した後では忘れ去られてしまう。物自体とは、われわれが今見ている物のことではない。われわれが見ている物は、すでに共通の了解の下にある。だからわれわれは物を言葉で指し示すことができるし、物を利用することができる。そうではなくて、物自体とは、物が備えている了解不可能な他者性である。了解不可能であるが、そうしたものを想定することによってしかわれわれの認識が可能にならないような何物かである。

 ベンヤミンは、「言語一般について、また人間の言語について」の中でこう述べる。

「精神的本質はある言語の内において自己自身を伝達するのであって、ある言語を通じてではない。それはつまり、精神的本質は言語的本質と外側から等しいわけではないということだ。精神的本質が言語的本質と同一であるのは、それが伝達可能である場合のみに限られる。ある精神的本質において伝達可能なものが、その言語的本質なのだ。つまり、言語は事物のそれぞれの言語的本質を伝達するが、その精神的本質を伝達するのは、精神的本質が直接、言語的本質のうちに含まれている場合に限られる。すなわち、精神的本質が伝達可能である場合に限られるのである。」

 「精神的本質」というのが、物自体に相当する。人間が理解するのは、そのうちの言語化されうる部分、つまり言語的本質だけである。人間が言語の中でしか思考できず、言語の中でしか他人と共通の意識を持ち得ないとするならば、言語こそがすべての本質だと言うこともできるだろう。しかしベンヤミンはそうしなかった。言語的本質の背後に物自体として精神的本質を措定しなければ、言語は成立しないのである。そうしたパラドキシカルな関係にある。物自体こそが時間と空間の起源なのである。

 例えば、何の価値もないようなありふれた石に、ある時貴重な資源が含まれていることが発見されたとする。石そのものは何も変わっていないのに、石の言語的本質は大きく変わることになる。人間にとって無用なものから有用なものへ。これを進歩と呼ぶならば、石そのものという変わらないものがあることによって、この進歩はあり得たのである。石に限らず、あらゆる物は可能性を持っている。それはある時点の言語の枠内で考えるだけでは、とうてい思いつくものではない。それにもかかわらず、ある一時点から過去や未来に思いを寄せること、それが結局は時代を動かすのだろう。

 話を京都会館に戻そう。50年前にそれが建てられたときの評価を、現在のわれわれは知ることができない。それは資料が残っているとかいないとかいう問題ではなくて、50年前と現在とで、言語的本質が変わってしまっているからである。しかしそれは悲観すべきことではなくて、言語的本質が時代と共に変わるからこそ、歴史の証人としての京都会館がより輝くのである。逆に考えたらよくわかる。確固たる評価が定まり、それが延々と続いていくのが理想だとするならば、その建築物は物自体であることを止めてしまっている。だから精巧なレプリカとして建て替えても、支障はないことになってしまう。空間論の行き着く先は、物自体の否定なのである。

 「どうせつくるなら良いものを」という論理には、現在の視点しかない。そうした論理を掲げる人たちは、過去の人がその建築をどう考えたか、未来の人がそれをどう考えるのか、そうしたことにまったく無関心である。そこには時間の概念がなく、歴史に対しての責任という概念もない。空間という言葉を弄びながら、空間の根拠を破壊するという、取り返しのつかないことに彼らは手を染めているのだ。

 香山氏に限らず、われわれひとりひとりの建築家としての理念が問われている。建築家として本物か偽物かは、京都会館への対応を巡って鮮明になるだろう。

2011年10月19日

京都会館シンポジウム(10月10日)

 京都会館問題を考えるシンポジウム(主催は、「京都会館を大切にする会」と「京都会館再整備をじっくり考える会」)が、10月10日に京都会館の第1会議室で行われた。定員の45人を大きく超える90人が来場した。誰がどんな発言をしたかといった具体的な内容については、他のブログ等でも紹介されているので、ここでは問題の核心部分だと私が考えていることについて述べたい。

 京都市の計画案通りに建て替えを行ったとして、はたして京都市が言うような世界的なレベルのオペラが上演可能となるのか。ここでの「世界的なレベル」とは、例えばスカラ座で行われているオペラを連れてきた場合、本国と同じ演出で、舞台セットを変えずに上演できることを指す。京都会館の舞台は狭く、舞台装置も不十分なので、第1ホールを丸ごと建て替え、世界的なレベルにするというのが、京都市の見解である。しかしそうした京都市の目論見が、まったくの机上の空論だということが今回のシンポジウムで明らかになった。

 仮に京都市の計画通りに舞台が整備されたとする。それによって舞台の奥行と舞台装置を設置するための舞台の高さが確保される。確かにそれだけを見れば、世界の一流劇場に遜色がない。ここまでは新聞等でも報じられている。だがその先が正しく報道されていない。世界的なレベルというのは、単に舞台の大きさの問題だけではないのだ。それが第1の問題である。

 これまで「舞台」と呼んできたものは、実は主舞台のことである。世界の一流劇場は、主舞台以外に側面にも舞台を備えた多面舞台となっている。だから本国と同じ演出、同じ舞台セットを持ち込もうとするならば、京都会館も多面舞台とする必要がある。しかし敷地の広さの制約があり、計画されているのは主舞台のみである。この時点で既に「世界的なレベル」からは外れてしまうのである。別の側面から捉えると、本国と同じ演出、同じ舞台セットということにこだわらなければ、現状の広さの舞台であっても、一流劇場のオペラは上演可能である。

 第2の問題は、自前の劇団や、オペラを上演するためのスタッフを持たないということである。つまり建て替えられた京都会館は、貸しホールなのである。オペラは外部から呼ぶことになる。裏方のスタッフも含めて丸ごと呼び寄せなければ、上演は成り立たない。自分達の芸術を発信するわけでもないし、ノウハウが蓄積されるわけでもない。単なる貸しホールを、世界は一流の劇場としては認めない。

 そして第3に、本格的なオペラを上演するための舞台機構は、維持費がかかりすぎるということである。エレベーターと同様の機械装置なので、定期的なメンテナンスを続けなければ、機能が維持できない。そうした装置を使うような「世界的なレベル」のオペラは、1年に数日程度行なわれるだけだろう。しかし、たとえ使わなくても、メンテナンスを放棄するわけにはいかない。おそらく維持費だけで、ロームが命名権料として払う1年につき1億円という金(それを50年間払う)が消えていくだろう。京都市は、ロームから一括で支払を受け、それを建設費にあてるとしている。そうすると結局、維持費は丸々京都市の負担ということになる。

 こうして見てくると、通常の思考回路ならば、京都市の案は白紙撤回になるはずのところだ。だが簡単にはそうならないのは何か裏があるからでは、と考えるのは、当然の成り行きだろう。この点ではシンポジウムでの西本さん(「京都会館再整備をじっくり考える会」事務局長)の指摘が一番鋭かった。第1ホールを解体した後で、「世界的なレベルにするには本当は第1ホールだけの建て替えでは不十分だ、どうせつくるなら良いものを」という論理で、京都会館全体を取り壊して更地にし、多面舞台を備えたオペラハウスを新規に建設することさえ目論まれているのではないのか。

 「どうせつくるなら良いものを」という論理を警戒しなければならないと私は思う。この論理に建築家が迎合していく可能性は高い。建て替えの基本設計を請負った元東京大学教授の香山壽夫氏は、すでにこの論理に迎合してしまったと言えるだろう。私は面識はないが、温厚な紳士らしい。「自分が手を貸さなければ、京都会館はもっとひどい形にされてしまう」というのが、基本設計を引き受けた理由のようだ。それは善意から来ているのかもしれない。だが私には、それがハイデガーがナチスの側に寝返っていく過程と重なって見えるのだ。建築を語る時に、ハイデガーに依拠する建築家は多い。香山氏の場合は、ルイス・カーンを介した形でのハイデガーとのコミットメントのようだが、いずれにしても、建築論におけるハイデガー的なものを俎上に載せることは必要なのではないか。
(続く)

2011年09月01日

『モホイ=ナジ/イン・モーション』

 京都国立近代美術館にて。2011年7月20日から9月4日。

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 「ライト・スペース・モデュレータ」という作品。

 スイッチを入れると、金属を組み合わせた物体は動き出す。片側から当たった電球の光が、壁面に物体の影を映し出す。影は物体の動きを反映して、回転したり、流れたり、重なったり、揺らめいたりする。

 壁面に投影された影だけに注目してみる。影は何を表現しているのか。もちろん機械仕掛けの物体が作り出す影ではあるけれど、物体の全体像を表すのではなく、そうした全体像を否定しているように見える。主役は、部分化された幾何学的な影の形態なのだ。

 物体という対象を持つ点では具象だが、その像が物体の全体像をまったく再構成させないという点では無対象である。逆に言うと、無対象でありながら、物体という根拠を持たざるを得ない。いずれにしても、この作品が、物体と表現との臨界点を示していることは確かである。

2011年08月01日

京都会館の存続を巡って(続き)

 少なくとも昨年2010年12月以降、京都市は京都会館をオペラハウスに建て替えることに固執している。京都市は表向きは否定しているが、オペラハウスへの建て替え案には、命名権を獲得したロームの意向はまったく反映されていないと言い切れるのか。

 財政難という制約、岡崎公園という文化的コンテクスト、京都会館が50年間そこに建ち続けてきた重み、それらを前提条件からはずしてしまえば、オペラハウスを建てるという選択肢も当然あり得るだろう。興行者や音楽関係者を代表する委員が、京都会館再整備検討委員会でオペラの出来る設備が欲しいと発言したことは、不当なことではなく、ごく当たり前のことだ。だが前提条件をはずすことは不可能である。だから彼らを含めた委員会が、議論の中で落しどころを探っていき、方向性が2006年12月の意見書に集約されたのである。

 ロームへの命名権売却によって、前提条件のうちの財政難という制約がはずれたと京都市は判断したのかもしれない。それがオペラハウスへの建て替えに転換する動機だったとすれば、いくつもある前提条件のうちの財政面にしか京都市は関心がなかったことになる。再整備検討委員会で議論された文化的コンテクストについては、京都市はまったく顧慮する意志はないのではないか。

 制約条件が何もないところでは、どんな夢も思い描ける。だが制約条件をすべてはずしてしまった議論は、一方通行で願望をつぶやくだけであり、議論の名に値しない。オペラハウスの必要性というのも、そうした条件のひとつだろう。需要という面から見て、京都にオペラハウスは必要なのか。

 関西圏には、本格的なオペラ上演に対応したホール(つまりオペラハウス)が3つある。兵庫県立芸術文化センター、大阪フェスティバルホール(建て替え工事中 2013年完成予定)、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールである。このうちびわ湖ホールは、JRで京都駅から10分の距離にある。音響等、施設としての評価も高い。だが一方でオペラファンの人口は限られており、現時点でもオペラ上演は採算に合うものではない。新たに京都のオペラハウスが参入するとして、事業として成立する可能性がはたしてあるのかどうか。「器」をつくったからといってオペラを見に行く人の数が急激に増えるとは思えない。

 「国内最大級」ということを京都市は売り物にしたいようだが、これは隣接する府県に対抗したいという幼稚な自己顕示欲としか思えない。近隣の自治体同士が共倒れになるような都市計画ではなく、互いの不足分を補い合うような、いわば住み分けを考えられないものだろうか。とくにびわ湖ホールとの関係においては、京都に先行して文化的な施設の整備を始めた滋賀県や大津市に、もっと敬意を払うべきだろう。

 「敬意」というのが、キーワードなのかもしれない。歴史的な遺産に対する敬意すら、京都市は失っているのではないか。観光都市は両義性を孕んでいる。もともとは歴史的な遺産のより深い理解のためだったのが、主催者の側では収入を得るための手段となる。歴史的遺産は、目的から手段に貶められる。歴史的遺産は、ものとしての実在を否定され、そこから抽出されたイメージだけが流通するようになる。そのイメージの総体が国際観光都市=京都なのだ。景観条例施行後の京都は、ますますイメージだけの都市になりつつある。「京都風」かどうかという印象的な基準だけで、建築許可が下されているのだ。このまま迷走を続けるならば、京都は数十年後には文化都市として存在することを止めるだろう。

 歴史的な遺産に対する敬意は、現にそこにあるものに対する敬意でなければならない。築後何百年か何十年かといった数字は関係ない。評価とは、所詮は他人の評価である。何年後かには評価は変わるのかもしれない。だから、現時点での評価でもって今目の前にあるものを永久に葬り去ってしまうことは、歴史に対する冒涜なのだ。その建築物が今この世界に在る以上、われわれにできることは、それが全うすべき「生命」(比喩的に表現すれば)を全うさせるということだけではないのか。

 建築学会などが京都会館の保存要望書を出している。だが歴史的な価値があるから保存せよという論理は、危うい両義性を孕んでいる。歴史的な価値を誰が認定するのか。価値がないと判断されれば、壊されても仕方ないのか。歴史が闘争を生き延びた勝者によって書かれるものだとするならば、建築物の価値も勝者の価値観に沿ったものになる。だから歴史的な価値があるから保存せよという論理では、現代の支配的な価値観である市場経済に対抗できないのだ。また、価値があるから残すという発想には、優生思想につながる危うさもある。

 京都にある歴史的遺産の意味は、現在の社会のモデルがそこにあったからということではなくて、現在の社会とはまったく異なる社会があり得た可能性を示唆するからだ。歴史的遺産とは、われわれのルーツではなく、むしろ逆のものだ。

 建築を残すということは、それがわれわれの陣営にあるから残すということではない。もちろん私は京都会館を建築的に評価するがゆえに残したいと考えるが、もしこれが評価できない建築であったとしても、それでも残したいと考えるだろう。むしろ敵の陣営であるからこそ残す価値があるとも言えるのだ。ものの実在と向き合うこと、京都が本当の意味で文化都市として再生するためには、そこを出発点とする以外にない。

2011年07月31日

京都会館の存続を巡って

 京都会館(京都市左京区岡崎・1960年竣工)を建て替えてオペラハウスにするという昨年末の京都市の決定はあまりに唐突だった。そこに至る経過をたどってみる。

 舞台設備が時代に合わないものとなっており、現代的な設備に改修する必要性はだいぶ前から言われていた。また耐震改修やバリアフリー改修の必要性も明らかだった。京都市では、各界の代表を集めた京都会館再整備検討委員会を設置し、検討を始めた。

 再整備検討委員会は、2005年7月13日の第1回から、2006年7月13日の第6回まで開かれた。

議事録は公表されている。
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000005/5702/tekiroku_1.pdf(第1回)
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000005/5702/tekiroku_2.pdf(第2回)
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000005/5702/tekiroku_3.pdf(第3回)
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000005/5702/tekiroku_4.pdf(第4回)
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000005/5702/tekiroku_5.pdf(第5回)
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000005/5702/tekiroku_6.pdf(第6回)

オペラの上演に対応したホールが欲しいという意見は、興行者側の委員から出ているが、議論の中でそうした意見は、現実的な妥協点に収束していったことが読み取れる。オペラの上演に対応するホールをつくるには、C案(全面建替え)とする必要がある。しかし委員会での共通認識は、A案(建物内部の改修)またはB案(一部増築を伴う改修)という方向に落ち着いていった。

こうした議論を踏まえて2006年12月に「京都会館再整備の基本的な方向性に関する意見書」が提出された。
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000017/17030/ikensho.pdf

京都会館をどう位置づけるかについて、「オペラやバレエなどにも対応できる本格的な芸術ホールとして位置付け」という意見は、共通認識になっていない個別意見に分類されている。また競合施設との比較検討においても、対象に選ばれているのは、大阪厚生年金会館、神戸国際会館という多目的ホールであり、オペラハウスとの比較は行なわれていない。

 この意見書を基に京都市内部で検討が進められたはずだが、4年後に京都市が出した結論は、再整備検討委員会の意見書に反して、オペラハウスへの建て替えであった。

□京都に国内最大級オペラ劇場 市方針、事業費100億円
 (2010年12月24日 日本経済新聞)

「京都市は同市左京区の文化施設「京都会館」を全面改修し、国内最大級のオペラハウスに衣替えする方針を固めた」とある。「全面改修」となっているが、オペラハウスは、コンサートホールとは舞台や客席のつくりが全然違うので、実際には建て替えになる。

年が明けて、京都市から正式発表となる。

□京都に最大級オペラ劇場 2000席規模を計画 市が正式発表、意見公募
 (2011年1月24日 日本経済新聞)

ここでも「改修」という表現が使われており、予備知識がない人には、これが建て替えであることがわからないような文面になっている。オペラハウスでは、舞台装置を収納するために30m以上の建物の高さを確保しなければならないが、京都会館が建つ岡崎公園は15mの高さ規制がかかっている。法規制にどう対処するかは、この記事では明らかにされていない。(現状でも建物は15mを超えているが、既存建物だということで規制が免除されている。)もし仮に、舞台や客席を地下に埋めるような案が想定されているとすれば、それは「改修」どころでは済まない話で、明らかに建て替えということになる。それに大規模な地下工事があるとすれば、100億の予算で完成するとは思えない。

 2月になってこんなニュースが飛び込んで来た。

□京都会館命名権、ロームに 公募せず売却、市会委紛糾
 (2011年2月8日 京都新聞)
□「京都会館」命名権 50年で52億円 「ローム」獲得
 (2011年2月8日 読売新聞)

京都市は市議会に諮らずに水面下で交渉し、命名権(ネーミングライツ)の売却を決めたのである。

京都市は、財政再建団体に転落する寸前であり、財政的な余裕はない。事業費の半分を命名権売却で賄えるとなれば、それに飛びつくのは不思議ではない。だが、再整備検討委員会の意見書を事実上反古にしたオペラハウスへの方針転換と、ロームへの命名権売却は、リンクしているのではないか。状況証拠しかないにしても、そうした疑問が生じるのは当然だろう。いずれにしても、公共という概念のあり方がここでは問われているのだ。

 5月になって、京都市は「改修」が実は建て替えであることを認める。そして自ら定めた法規制をいとも簡単に緩和してしまう。

□オペラ誘致へ建て替え案有力 京都会館再整備
 (2011年5月23日 京都新聞)
□京都会館の建て替え、京都市が高さ制限緩和の方針
 (2011年6月26日 京都新聞)

5月の時点では「建て替え案有力」という報道だったが、6月には正式に「建て替え案を採用」となる。増築案と建て替え案とを比較した上での結論だとしているが、あらかじめ京都市としての結論は出ていたのだろう。「計画では、建築家前川國夫(まま)氏が設計した建物の保存改修を基本とし、その上で第1ホール(2千席)は解体し建て替える」と記事にはある。一見前川國男の設計を尊重しているかのような紛らわしい表現だ。ヴォリュームの過半を占める第1ホールを建て替えるということは、京都会館という建築を全面否定するに等しい。

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 一部分だけが残ったとして、それで建築が保存されたことにはならない。空間構成が生きるのでなければ意味がない。建築は装飾ではないのだ。

 京都会館には正面と呼ぶべきものがない。あえて言えば南側(二条通り側)だが、それでも歩道がそのまま会議場の下をくぐって中庭に流れ込んでいるようで、建物の輪郭によって人の動きがせき止められることはない。中庭は、中でもあるし外でもあるのだ。その中庭に面して、第1ホール、第2ホール、会議場の入口がある。第1ホール入口のキャノピーを兼ねたテラスは、カフェテラスにつながっている。中庭に立つとき、何かの正面に向かい合うという感覚はまったくない。つまり威圧感がない。中庭にとどまるのもよし、目的とするホールに入っていくのもよし、振る舞いを人間の側にゆだねるような大らかさが、そこにはある。

2011年07月25日

『コクリコ坂から』

 絵に描いたような予定調和でストーリーは進行する。登場人物はステレオタイプだ。与えられた役割の通り行動し、意外なところはなにもない。ノスタルジーとは、現在の時点から過去を振り返ることだが、この映画では、登場人物自身が既にノスタルジーを演じてしまっているようだ。言葉や行動の「落しどころ」が、意識されるにせよされないにせよ、あらかじめ内面化されているのだ。だから登場人物の思考や行動の振幅は小さい。問題を一挙に解決するようなヒーローも、常軌を逸した悪党も、ここには登場しない。

 ノスタルジーとは、至福である。時間の経過が、善悪の境界をぼかしていき、すべてがすべてが善として了解される。だが宮崎吾朗は、はたしてノスタルジーのためだけにこの映画をつくったのだろうか。単にそうした映画をつくるだけならば、彼以上に洗練されたセンスを持った監督はいくらでもいるだろう。むしろここで演じられたノスタルジーは、その背後にあるものを浮かび上がらせるための幕なのではないだろうか。

 舞台となる高校で繰り広げられるエピソードには、60年安保が重ねあわされているのは確かだ。時代の大きな節目ということである。その節目に主体としてどう関わるのかが、ひとりひとりに問われている。だが実際には、彼らが取りうる行動の選択の幅が限られているというのも確かだ。超越的なヒーローがいない世界においては、ひとりひとりがどんなにあがこうが、結局は予定調和的に進行するように見えるのである。この閉塞感は現在にも通じている。だから、映画に描かれたノスタルジーは、安住すべき場所としてのノスタルジーではない。

 世界を変えられるのは、物語作者が外部から与えるような超越的なヒーローでもなければ、奇想天外なプロットでもない。それは、予定調和な世界そのものの中になければならないのだ。あえて予定調和な物語を展開することで、宮崎吾朗が浮かび上がらせたかったのはそれだろう。この映画に即していえば、それは恋する能力というべきものであり、もっと一般的に言い換えるならば、想像力である。表向き振幅の小さい物語の中で、海や俊(登場人物)の心の振幅は最大になる。それは画面に現れるものというよりは、われわれこそが想像すべきものだ。

 ベンヤミンは、アダムとイブの失楽園を、人間の言語が被った宿命として描く。

・「人間は善悪の問いを立てる行為の深淵で、この名の言語のもとを去る。」
・「蛇の誘惑によってたどり着いた認識、何が善で何が悪かという知識は、名をもたない。」
 (「言語一般について、また人間の言語について」)

「名の言語」とは、神によって人間に与えられた言語であり、動物や物を次々と名づけていくことによって、世界を認識していく。その世界認識は予定調和であり、そこには至福が支配する。しかし、善悪の判断が必要とされたとき、予定調和は崩れ去る。それが人間が楽園を去るときであり、言語の完全性を失う代わりに、言語を乗り越える視点(つまり外部)を手に入れるのである。

 想像力とは、まさに言語の延長が言語を超える瞬間に他ならない。

2011年07月16日

ローマン・エコハウス

 電気を使わずに夏を快適に過ごすにはどうすればいいのだろうか。

 電力危機が煽られているものの、実際には火力発電と水力発電による供給量で十分足りているらしい。原子力発電による供給は、もともと過剰なのだ。しかし、火力発電にせよ水力発電にせよ、そうした電力そのものの使用を少なくできるならば、それに越したことはない。

 塩野七生ではないが、こんなときには古代ローマ人の知恵を借りてみるというのはどうだろうか。ローマ人は、寝椅子やベッドに横になったまま、食事をしたり歓談したりした。給仕する奴隷がいたわけだから、床に降りる必要はなかったのだ。そうしたローマ人の生活スタイルは、海や湖に島が点在している様子を連想させる。

 そこで、実際に床に水を張ってみた。

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 夏を快適に過ごすために、電気エネルギーを使って温度と湿度を下げることがこれまで行なわれてきた。それは、高温と多湿に対して正面から戦いを挑むという方法である。しかし一方で、高温と多湿に戦いを挑むのではなく、逆らわないという方法も考えられるのではないだろうか。空気の摂氏30度は暑くて不快だが、水の30度はそれほど不快ではない。われわれは乾いた環境が常態だと思っているため、汗をかくような暑さを嫌がるが、海水浴場で暑さを嫌がる人はいないだろうし、サウナでは積極的に汗をかこうとする。もともと人間には、暑さや湿度に対する適応性はあるのだと思う。そうでなければ、エアコンが発明される以前に人類は滅びていただろう。

 乾いた環境が常態だという先入観さえ払拭すれば、夏はもっと快適になる。風通しをよくすれば、風が蒸発熱を奪っていくので、温度は気温よりも下がる。濡れてもいいような服装で過ごせば、汗をかくことは気にならない。それにいつでも好きなときに、水に体を浸して、体を冷却すれば良い。地中の温度は年間を通じてそれほど変動しないので、地中の水道管を通ってくる水の温度は、気温よりも低い。だからエネルギーを使って水温をさらに下げる必要はない。冷房用の電気エネルギーはゼロにできる。

2011年07月10日

My camera

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 フィルムカメラは、以前はいくつか持ってましたが、壊れたり他人に譲ったりで、残っているのはこれだけです。OLYMPUS OM-1。レンズは50mm-F1.8。10年ほど前に購入。購入後しばらくしてシャッター廻りをオーバーホールしていますが、その後は故障もなく使っています。

 カメラは、余計な機能の付いていないシンプルなものが一番です。AF(オートフォーカス)もAE(自動露出)も不要です。時代の流れとしては、フォーカスを合わせたり、露出を決めたりする作業を自動化する方向に動いているのですが、それで便利になったかというと、必ずしもそうは言い切れません。自動化されたカメラだと、フォーカスが合うまではシャッターが押せない等、逆にストレスを感じたりもします。

 シャッターを押す前に決めなければならないのは、シャッタースピード、絞り、フォーカスの3つです。1枚写すたびにこれら3つを決めるのは一見面倒に思われるかもしれません。しかし順序だてて考えてみれば、それほど難しい作業ではないとわかります。

 まずシャッタースピードをあらかじめ決めてしまいます。周囲の明るさを勘案しながら、手振れしないスピードに設定します。そして、各被写体ごとの露出の違いは絞りで調整します。ですからここまでで、シャッターを押す前にする作業を、絞りとフォーカスの2つに減らすことができたわけです。そして絞りですが、撮影場所が日向から日影に入ったような時には、もちろん変更する必要がありますが、周囲の条件が同じような場合には、細かく調整する必要はありません。写真をデジタルデータ化すれば、明るさは後で調整ができます。ですから結局、一枚写すごとに気を使わなければならないのは、フォーカスだけということになります。

 最近のカメラのAFは、人間よりも精度が高いかもしれません。でもフォーカスだけは、写真を撮る楽しみとして残しておいたほうが良いのではないでしょうか。面倒なことがひとつくらいはないと、楽しみもなくなってしまいます。

2011年06月23日

『ベンヤミン・アンソロジー』

 今私の一番関心のある思想家は、ヴァルター・ベンヤミンである。建築家ではミース・ファン・デル・ローエ。この二人は同時代人である。ベンヤミンは、1892年ベルリン生まれ、ナチスの迫害を逃れる途上で1940年に自殺している。ミースは、1886年アーヘン生まれ、ナチスの政権獲得後アメリカに亡命し、1969年にシカゴで亡くなっている。ミースにはあまり政治的な面はなかったように言われているが、彼の作品には、他の建築家よりもいっそう同時代の空気が反映されているように思う。その空気を知るために、最近ベンヤミンを読み返している。

 ベンヤミンの主な論文を収録した『ベンヤミン・アンソロジー』(山口裕之編訳)が河出文庫から出た。「複製技術時代の芸術」(Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit)も新訳で収録されている。この本では、「技術的複製可能性の時代の芸術作品」というタイトルに改められ、内容も読みやすい文章になっている。

 過去から未来へという時間軸と、広がりを持った空間の座標との交点が、ベンヤミンの主題なのだと思う。ここで彼の思想が建築との接点を持つことになる。しかし時間軸も空間の座標も、単なる物理的な単位ではない。交点に立つ人間を介してのみ計ることが可能である。だが一方で、人間はそうした交点に位置づけられてはじめて人間としての活動が可能になる。相互規定的であり、出口はない。だからこの枠組みを認識することも含めて、すべてが超越論的でもあるわけだ。時間軸を歴史、空間の座標を政治と言い換えることができる。人間は、歴史からも政治からも逃れることはできない。だが人間が位置するその交点が、時間的にも空間的にも広がりを持たない凝縮された一点、つまりは無であることによって、逆に歴史や政治を照射できるのではないか。

 「複製技術時代(技術的複製可能性の時代)」を論じるにあたって、ベンヤミンは映画を時代の代表例としてあげている。だが今日ではむしろネットワーク(ウェブページ・ブログ・SNS等)を代表例とすべきだろう。「芸術」という言葉に騙されやすいが、礼拝の対象だった芸術が、もっと身近になり、気晴らしとして受容されるようになるというのがもともとの文脈であるから、影響力という点から見てもネットワーク(以下「ネット」と呼ぶ)の方が例として適当である。ネットでは、権威のある人の発言が特別扱いされるということはない。基本は匿名性にあり、発言の影響力は内容に依存する。「成りすまし」というのも可能だし、実社会におけるアウラは意味を持たないのである。だがそれは逆に、真偽の判断も宙吊りにされることを意味する。真偽がアウラによって担保されないのであるから、情報の取捨選択は、自己責任において行なわなければならないのだ。

 しかもネットにおいては、情報を受容するだけでなく、誰もが容易に発信者になりえる。こうした交流のあり方が、今日における「芸術」なのである。洞窟絵画にまで遡る礼拝対象としての芸術は、その時代・その社会の成員に、集団の規律を周知させる意義を持っていた。同様に現代の「芸術」は、匿名での情報の流通を通して、社会のモラルと政治を生成するのである。芸術とはメディアである。それがどういう結果をもたらすのかは、あらかじめ言うことはできない。ベンヤミンは、当時の映画のような新しいメディアが、大衆を反ファシズムへ向けさせることを期待した。だが、映画を宣伝に効果的に使ったのはむしろファシズムの側であった。メディアはどちらの側にも加担し得る。もちろんそれはベンヤミンも認識していたはずだ。彼があえて芸術という言葉を使ったのは、芸術的な想像力においてファシズムを上回る必要があると考えたからではないだろうか。時間軸と空間の座標が交差する点において、無に等しい人間が、想像力によって超越的に全体構造を認識することに期待するしかないのだ。

 われわれを取り巻く建築物は、ほとんどが複製(コピー)である。歴史的な建築物の複製だったり、外国の建築物の複製だったり、有名な建築家の作品のコピーだったりする。技術的にはどれも可能である。「何々風」と呼ばれるものが氾濫している。景観法が施行されている京都市では、京都風が行政によって強制されている。たとえ複製であっても、100年間その場に建ち続ければ、アウラを獲得するだろう。だがせいぜい20年程で取り壊される複製にアウラは期待すべくもない。景観法は、こうして京都からアウラを奪っていくという皮肉な結末を迎えるだろう。

 現代建築の耐用年数は短い。物理的な耐用年数もさることながら、実際には20年から30年、場合によってはもっと早く取り壊される。かつての建築が備えていた永続性は、もはや期待されていないのだ。建築が建築たり得る根拠が揺らぎ始める。空間の座標を占めるだけでなく、永続することで時間軸の指標になるという存在理由が失われてしまうのである。建築におけるアウラの喪失。建築は、それ自体で在るものではなくなって、何か他の目的のための手段になりつつある。

 そうした状況がミースの出発点だったはずである。そして、アウラを擬似的に回復するような方向(究極はシュペーア)ではなく、建築がそれ自体として在るものにする方向で思考を進めていったように思う。

2011年06月21日

現代の貧困

 現代の貧困は、生産力の不足に起因するのではない。逆に生産力は過剰である。必要な物資を生産する能力がないのではなく、過剰に生産された物資が、それを必要とする人々に行き渡らないということなのだ。だから貧困は、生産の問題ではなく分配の問題である。

 一方で生産物の有り余る在庫を抱えており、他方でそれらを必要とする人々は、それらを購入するだけのお金を持っていない。社会の富の著しい不均衡。これが現代の貧困なのだ。スタインベックが『怒りの葡萄』で描いた大恐慌時代というのは、そうした時代である。生活の糧を得るために、労働者はより条件の悪い労働に身を投じる。雇う側は、売上げの減少を生産費の削減で賄おうとするから、労働条件をさらに切り下げる。時には公権力を使ってまで、労働者を劣悪な状況に繋ぎとめようとする。

 こうした状況は、市場を通じた価格の変動によって解決されるだろうか。在庫を抱えた生産者が、消費者が購入可能な程度まで生産物の価格を下げることで、不均衡が解消されると経済学は主張する。だが実際にはそうはならない。結局消費者の購買力の源泉が生産者から支払われる賃金である以上、購買力は生産物の価格と同程度かそれ以上に下がっていくことになるからだ。経済学の法則は、自然科学の法則とは異なる。どんな場面においても通用するものではなく、硬直化した理論は、むしろこうあるべきだという教条に過ぎないのである。だが教条と化した経済学を批判する経済学者はいなかった。経済学者の方が、そうした状況の中では保守的だった。そんな中で登場したのがケインズであり、政府が積極的に需要を創出することによる不況からの脱却を主張したのである。

 市場経済は、それ自体では分配の問題を解決できない。順調に経済が回っているあいだは解決できているように見えても、一旦軌道からはずれると元に戻れなくなる。もし資本主義を維持しようとするならば、細心の注意を払った経済政策が必要になってくる。そして不均衡が拡大しないような仕組みを、あらかじめ制度化していた。累進課税の原則や社会保障である。

 現在という時点が、80年前の大恐慌の時代と重なって見えてくる。増税の可否が問題になっている。不況が続く中での増税が社会にどんな影響をもたらすかは、長期的な視野で見る必要があるだろう。財政的にこれ以上国債の発行ができないから増税するという理屈は、一見わかりやすい。収支の帳尻を合わせなければならないというのは誰にでもわかる理屈だからだ。政府が自らの借金を踏み倒すようなことになれば、金融の秩序が解体してしまう。だからここまで、つまり増税の必要性までは認めることにしよう。問題は、なぜ増税が消費税によって行われるのかということだ。なぜ所得税や法人税ではだめなのか。

 結局消費税による増税は、税金を徴収しやすいところから徴収するということでしかないだろう。裏を返せば、高額の政治献金者でもある高所得者や財界からは徴収しにくいということだろう。そして消費税による増税が何をもたらすかといえば、低所得者層への犠牲の強要である。可処分所得の減少によって、経済全体として消費は減り、不況はますます悪化するだろう。不況と税収の減少が分配の不均衡に起因するにも関わらず、不均衡を解決するどころか促進するだけだろう。

 逆進性のある消費税によって増税を図ろうとするのは、この80年の社会科学の歩みをまったく無視した愚行である。

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